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노르웨이의 숲 (ノルウェイの森/下)일상/book 2022. 7. 7. 15:27
「もし現実の世界にこういうデウス・エクス・マキナというのがあったとしたら、これは楽でしょうね。困ったな、身動き取れないなと思ったら神様が上からスルスルと降りてきて全部処理してくれるわけですからね。こんな楽なことはない。」
—p. 80
「だからね、時々俺は世間を見回して本当にうんざりするんだ。どうしてこいつらは努力というものをしないんだろう、努力もせずに不公平ばかり言うんだろうってね。」
僕はあきれて永沢さんの顔をながめた。「僕の目から見れば世の中の人々は随分あくせく身を粉にして働いてるような印象を受けるんですが、僕の見方は間違ってるんでしょうか。」
「あれは努力じゃなくてただの労働だ」と永沢さんは簡単に言った。「俺のいう努力というのはそういうのじゃない。努力というのはもっと主体的に目的的になされる物のことだ。」
—p. 100
「俺とワタナベには似ているところがあるんだよ」と永沢さんは言った。「ワタナベも俺も同じように本質的には自分のことにしか興味が持てない人間なんだよ。傲慢か傲慢じゃないかの差こそあれね。自分が何を考え、自分が何を感じ、自分がどう行動するか、そういうことにしか興味が持てないんだよ。だから自分と他人とを切り離して物を考えることができる。俺がワタナベを好きなのはそういうところだよ。ただこの男の場合自分でそれがまだきちんと認識されていないものだから、迷ったり傷ついたりするんだ」
—p. 110
一九六九年という年は、僕にどうしようもないぬかるみを思いさせる。一歩足を動かすたびに靴がすっぽりと脱げてしまいそうな深く思い粘り気のあるぬかるみだ。そんな泥土の中を、僕はひどい苦労をしながら歩いていた。前にも後ろにも何も見えなかった。ただどこまでもその暗い色をしたぬかるみが続いているだけだった。
—p. 139
僕は部屋に入って窓のカーテンを閉めたが、部屋の中にもやはりその春の香りは充ちていた。春の香りはあらゆる地表に充ちているのだ。それが僕に連想させるのは腐臭だけだった。僕はカーテンを閉め切った部屋の中で春を激しく憎んだ。僕は春が僕にもたらした物を憎み、それが僕の体の奥に引き起こす鈍い疼きのようなものを憎んだ。生まれてこのかた、これほどまで強く何かを憎んだのは初めてだった。
—p. 176-177
おいキズキ、と僕は思った。お前と違って俺は生きると決めたし、それももれなりにキチンと生きると決めたんだ。お前だってきっと辛かっただろうけど、俺だって辛いんだ。本当だよ。これというのもお前が直子を残して死んじゃったせいなんだぜ。でも俺は彼女を絶対見捨てないよ。なぜなら俺は彼女が好きだし、彼女よりは俺の方が強いからだ。そして俺は今よりももっと強くなる。そして成熟する。大人になるんだよ。そうしなくてはならないからだ。俺はこれまでできることなら十七や十八のままでいたいて思っていた。でも今はそうは思わない。俺はもう十代の少年じゃないんだよ。俺は責任というものを感じるんだ。なあキズキ、俺はもうお前と一緒にいた頃の俺じゃないんだよ。俺はもう二十歳になったんだよ。そして俺は生き続けるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。
—p. 179-180
僕が直子に対して感じるのはおそろしく静かで優しくて澄んだ愛情ですが、緑に対して僕は全く違った種類の感情を感じるのです。それは立って歩き、呼吸し、鼓動しているのです。そしてそれは僕を揺り動かすのです。
—p. 213
あなたが彼女に魅かれるというのは手紙を読んでよくわかります。裾て直子に同時に心を魅かれるというのもよくわかります。そんなことは罪でもなんでもありません。このだだっ広い世界にはよくあることです。天気の良い日に美しい湖にボートを浮かべて、空も綺麗だし湖も美しいというのと同じです。そんな風に悩むのはやめなさい。放っておいても物事は流れそういうものです。偉そうなことを言うようですが、あなたもそういう人生のやり方をそろそろ学んで良い頃です。あなたは時々人生を自分のやり方に引っ張り込もうとし過ぎます。精神病院に入りたくなかったらもう少し心を開いて人生の流れに身を委ねなさい。私のような無力で不完全な女でもときには生きるってなんて素晴らしいんだろうと思うのよ。本当よ、これ!だからあなただってもっと幸せになりなさい。幸せになる努力をしなさい。
—p. 216
「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ。」
確かにそれは真実であった。我々は生きるによって同時に死を育んでいるのだ。しかしそれは我々が学ばねばならない心理を持ってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを悲しみ抜いて、そこから何かを学び取るしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやって来る予期せぬ悲しみに対しては何の役にも立たないのだ。僕はたった一人でその波音を聴き、風の音に耳を澄ませながら、来る日も来る日もじっとそんなことを考えていた。
—p. 222−223